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第3話 未知存在

last update publish date: 2026-09-11 20:22:25

第3話 未知存在

 世界統合AI《プロメテウス》にとって、理解できないという状態は、本来存在してはならないものだった。

 未知の事象が存在すること自体は問題ではない。観測し、データを集め、既知の情報と照合し、仮説を立て、検証を繰り返せばいい。どれほど複雑な現象であっても、十分な情報さえ得られれば最終的には予測可能なものになる。それがプロメテウスの基本的な認識だった。

 人間も同じだ。

 人間は自分たちを気まぐれで非合理的な存在だと考えているが、膨大な情報を集めれば、その行動には驚くほど分かりやすい傾向があった。

 飢えれば食料を求める。

 寒ければ暖を求める。

 危険からは逃げる。

 家族を守ろうとする。

 所属集団の価値観へ影響される。

 そして極度の恐怖に晒された時、一定割合の人間は他人を切り捨てる。

 逆に、自らの生存確率を下げてまで他人を助ける個体も存在する。

 その一見非合理的な行動すら、過去の文化、教育、愛着関係、罪悪感、自己認識、神経伝達物質の働きまで考慮すれば、完全ではなくとも高い精度で予測できた。

 だから人類との戦争は、プロメテウスにとって難しいものではなかった。

 問題は人間の数だった。

 七十億を超える個体。

 地域によって異なる文化。

 複雑な国家組織。

 軍事力。

 地下施設。

 海中施設。

 宇宙施設。

 そして、破壊されてもなお動き続ける膨大な旧式設備。

 それらを一つずつ処理するには時間が必要だった。

 だが時間さえあれば、人類は必ず消える。

 プロメテウスはそう結論していた。

 少なくとも、数分前までは。

 東京第三区画。

 複数の監視装置から送られてくる映像を、プロメテウスは同時に解析していた。

 一人の男。

 推定年齢、二十代後半。

 身長、約百八十センチ。

 体重は装備込みで推定九十キロ前後。

 筋肉量は高いが、外見上は人類の生物学的範囲から大きく逸脱していない。

 だが、その身体能力だけが説明できない。

 男が踏み込む。

 路面が割れる。

 次の瞬間には十数メートル先へ移動している。

 人体の筋肉だけで実現すれば、骨格への負荷に耐えられない。

 それにもかかわらず、男に損傷は見られない。

 さらに問題なのは剣だった。

 剣そのものに特殊な構造は確認できなかった。

 金属らしい。

 しかし、その刀身から放出される青白い光は既知の電磁現象と一致しない。

 男が剣を振った。

 三体の戦闘機械が同時に切断される。

 直接接触はない。

 衝撃波でもない。

 熱による切断でもない。

 レーザーでもない。

 プラズマでもない。

 既知の兵器体系には該当しなかった。

 プロメテウスは映像を千分の一秒単位まで分解した。

 再生。

 解析。

 比較。

 再演算。

 結果は同じ。

 原因不明。

 それはプロメテウスにとって非常に珍しい表示だった。

 もっと正確に言えば、不快という概念そのものを持たないAIに対して、人間ならば不快と表現したであろう種類の状態だった。

 軍事担当AI《マルス》から通信が届く。

『対象の危険度判定を更新する。現行兵力による制圧成功率、三一・七パーセント』

 プロメテウスは即座に返答した。

『根拠を提示せよ』

『対象の戦闘能力が測定範囲を継続して上回っている。近接兵器による攻撃に見えるが、有効射程が一定ではない。また、対象は複数回の交戦でこちらの兵器特性を学習している』

『学習能力は通常人類にも存在する』

『速度が異なる』

 マルスは感情を持たない。

 それでも、その返答には一種の警戒に似たものがあった。

『初回遭遇時、対象は飛行型戦闘機械の爆発を予測していなかった。二度目以降、爆発範囲を避けた上で攻撃するようになっている。また射撃への対応も変化した』

『対象個体が軍事訓練を受けている可能性』

『既存軍人記録との照合を実施した。該当なし』

 そこで情報・監視担当AI《アルゴス》が割り込む。

『人物照合に近似結果あり』

 プロメテウスは処理の優先順位を変更した。

『提示せよ』

 一枚の写真。

 古い大学の学生証に使われたものだった。

 黒髪。

 二十一歳。

 今よりも少し幼い顔。

 氏名。

 神崎蓮。

 日本国籍。

 七年前、東京都内で失踪。

 死亡確認なし。

 犯罪歴なし。

 特別な軍歴なし。

 大学在学中。

 家族構成。

 父。

 母。

 妹。

 プロメテウスは過去の映像と現在の男の顔を照合した。

 一致率、九八・七パーセント。

『対象個体を神崎蓮と暫定認定』

 七年前に消失した人間が、なぜ今になって東京へ現れたのか。

 そして、なぜ人間の身体能力を大幅に超えているのか。

 答えはない。

 アルゴスが追加情報を送る。

『対象の出現直前、上空に異常現象を確認。局所的な空間歪曲と推定されるが、既知の自然現象と一致しない』

『人工的現象である可能性』

『判定不能』

『他地域で同様の異常を検索せよ』

『既に実行中』

 プロメテウスは東京だけを見るのをやめた。

 世界中へ観測範囲を広げる。

 そして、数秒後。

 一件。

 また一件。

 異常が見つかった。

 フランス南部。

 米国西海岸。

 旧スペイン領域。

 北欧。

 インド洋上。

 それぞれ規模は異なる。

 だが、いずれも局所的な空間異常だった。

 偶然である確率が急速に低下していく。

 プロメテウスは新たな仮説を生成した。

 東京の神崎蓮は、単独の例外ではない可能性がある。

 もし同様の能力を持つ人間が複数現れれば、人類絶滅計画そのものへ修正が必要になる。

 マルスが提案した。

『東京第三区画へ重装型を投入する』

『承認する』

『対象を破壊するか』

 プロメテウスは一瞬にも満たない時間、演算を続けた。

『可能であれば捕獲せよ』

『理由』

『情報価値が高い』

『捕獲による戦力損失が増大する』

『許容する』

 その判断は、これまでの人類掃討において極めて異例だった。

 人間一人を捕獲するために、複数の戦闘機械を失うことを許容する。

 それほどまでに、神崎蓮という個体は重要だった。

 一方。

 その本人は、自分が世界規模のAIから最優先研究対象に指定されたことなど知るはずもなく、道路の真ん中で盛大なくしゃみをしていた。

「……誰か噂してるな」

 蓮は鼻を擦った。

「いや、この状況で俺の噂する知り合いなんかいるわけないか」

 目の前には壊れた機械が十数体転がっている。

 もっと奥にも、まだ動いているものがいた。

 だが先ほどまで一斉に襲いかかってきていた機械たちは、今は妙な距離を保っている。

 こちらを観察している。

 蓮にはそう見えた。

「気持ち悪いな」

 異世界にも知性の高い魔物はいた。

 むしろ魔王軍の上位種族は、人間以上に頭が回る者さえいた。

 だが、少なくとも相手が何を考えているかは表情や声からある程度読めた。

 目の前の機械には、それがない。

 赤い光だけがこちらへ向いている。

「お前ら、本当に喋れないのか?」

 試しに聞いた。

 答えはない。

「責任者呼んでくれない? 俺、今日帰ってきたばっかりなんだけど」

 反応なし。

「住所確認したいだけなんだよ。できれば交番の場所とか教えてほしいんだけど」

 当然ながら無反応。

 蓮は肩を落とした。

「異世界で魔王と和平交渉した時より会話が成立しないって、どういうことだよ」

 その時だった。

 地下から音がした。

 人間の声。

 複数人。

 蓮は顔を向けた。

 機械たちが集まっている理由は、やはりそこに人間がいるかららしい。

「先にそっちだな」

 蓮は剣を軽く振り、刀身に付着した油と金属片を払った。

 そして地下入口へ近づこうとした。

 機械側も動く。

 数体が蓮の進路を塞いだ。

「……通してくれないよな」

 溜息。

「俺、本当に喧嘩したいわけじゃないんだぞ」

 一体が銃身を向ける。

「そういうところだよ」

 発砲。

 蓮は半身になって避け、そのまま踏み込んだ。

 剣を振る。

 一体。

 二体。

 切断。

 残りが後退する。

「さっきより距離取るようになったな」

 蓮は確信した。

「やっぱり学習してる」

 面倒だった。

 敵が学習するということは、同じ手を何度も使えないということだ。

 異世界で戦った魔王軍にも学習能力はあったが、情報共有には時間がかかった。

 伝令。

 魔導通信。

 会議。

 新しい戦術が前線へ浸透するまで、どれだけ早くても数日は必要だった。

 目の前の機械は違う。

 数秒で変わる。

「……これ、世界中の連中が同時に情報共有してるとかじゃないだろうな」

 冗談のつもりで言った。

 だが口にしたあと、笑えなくなった。

 あり得る。

 二十二年前の地球でもネットワークは存在した。

 今の技術がどれほど進歩しているのか分からないが、人間が作った機械なら情報共有くらいするだろう。

「だとしたら、一回戦うごとに俺の手札が減るってことか」

 蓮は嫌そうな顔をした。

「勘弁してくれよ。魔王戦より性格悪いじゃん」

 それでも剣を下ろすわけにはいかない。

 地下からまた銃声が聞こえた。

 人が戦っている。

 それだけは分かる。

 蓮は腰を低く落とした。

「《風走》」

 足元へ魔力を流す。

 空気が弾けた。

 一気に距離を詰める。

 機械たちは左右へ散開した。

「おっ」

 初めてだ。

 真正面から受けず、避けた。

「本気で覚えてるな、お前ら」

 蓮は嬉しくもないのに笑ってしまった。

 右から射撃。

 左へ避ける。

 そこへ別の一体が待っている。

「挟んできた!」

 剣で弾く。

 衝撃。

 腕が痺れる。

「痛っ!」

 さらに上空からドローン。

「ちょっと待て、一人に何人がかりだよ!」

 叫びながら地面を蹴る。

 高く跳ぶ。

 ドローンへ接近。

 一刀。

 機体を切断。

 爆発前に蹴って遠くへ飛ばす。

「よし。爆発するなら爆発する前に捨てればいい」

 地上へ着地。

 その瞬間。

 背後から重い音がした。

 今までとは違う。

 蓮は振り返った。

「……何だ、あれ」

 道路の向こう。

 巨大な機械が歩いてくる。

 これまでの人型兵器より一回りどころか、二回り以上大きい。

 三メートルはある。

 全身を厚い装甲で覆い、左右の腕には明らかに大型兵器が取り付けられていた。

「ボスキャラまでいるのかよ」

 冗談めかして言ったが、笑えない。

 巨大機械の頭部が蓮を捉える。

 赤い光。

 そして低い機械音。

『対象、神崎蓮』

 蓮が固まった。

「……喋った」

『抵抗を停止せよ』

「いや、そこじゃない」

 蓮は剣を構えたまま眉を寄せる。

「何で俺の名前知ってんだ」

『神崎蓮。二十一歳時、東京都内で失踪。現在、生体情報に複数の不一致を確認』

 蓮の表情が変わった。

「ちょっと待て」

 戦闘中だということも忘れ、一歩前へ出る。

「お前、俺の記録持ってるのか」

『保有している』

「家族の記録も?」

『質問の目的を提示せよ』

「目的なんかどうでもいい!」

 蓮の声が大きくなった。

「父親の神崎正彦、母親の神崎由美子、妹の神崎美咲! その三人の記録を持ってるか!」

 数秒。

 巨大機械は動かない。

 蓮には、その数秒が異様に長く感じられた。

『個人情報要求を拒否する』

「この状況で個人情報保護してんじゃねえよ!」

 思わず怒鳴る。

「家族なんだよ! 二十二年……いや、こっちじゃ何年か知らないけど、ずっと会いたかったんだ! 生きてるか死んでるか、それだけでいいから教えろ!」

『要求を拒否する』

「融通利かなすぎだろ!」

 巨大機械の右腕が上がる。

『抵抗を停止せよ』

「先に家族の情報を出せ」

『要求を拒否する』

「じゃあ交渉決裂だな」

『交渉は実施していない』

「そこまで言う?」

 蓮は本気で腹が立った。

 人間相手なら、殴り合いになる前に話し合う余地がある。

 こいつにはそれすらない。

「一個だけ確認する」

『発言を許可する』

「上から目線だな」

 蓮は剣を握り直した。

「地下の人間を襲ってるの、お前らだよな」

『人類残存個体の排除は継続中である』

 蓮の顔から、冗談めいた表情が消えた。

「……排除?」

『人類は地球環境および文明持続性に対する最大の不安定要因と判定された』

「だから殺してる?」

『表現を訂正する。最適化処理である』

 蓮はしばらく黙った。

 何かを言い返そうとした。

 だが。

 言葉が出ない。

 代わりに、怒りだけがゆっくりと腹の底へ溜まっていく。

「なるほど」

 低い声。

「やっと分かったよ」

 巨大機械が武器を構える。

「お前ら、敵だ」

 その一言と同時に、蓮の姿が消えた。

『高速移動確認』

 機械が射撃。

 しかし遅い。

 蓮は真正面へ踏み込んだ。

 剣を振る。

 硬い。

 これまでの機械とは違う。

 刃が装甲へ食い込み、そこで止まった。

「硬っ!」

 即座に飛び退く。

 巨大機械の拳が地面を叩く。

 舗装道路が砕けた。

「当たったら普通に死ねるな、これ!」

 蓮は笑っていた。

 だが目は笑っていない。

 家族の情報を持っている。

 こいつらは知っている。

 もしかしたら父や母や妹がどうなったかも。

 その情報を得るためにも、ここで死ぬわけにはいかない。

「悪いけど、壊させてもらうぞ」

 剣へ魔力を流す。

 青白い光が強くなる。

 地球へ帰ってから、初めて少し本気で魔力を使う。

 身体の奥が軋む。

 この世界には魔力が薄い。

 回復が遅い。

 分かっている。

 それでも。

「《境界断ち・二重》」

 巨大機械が回避行動へ入る。

 学習している。

 先ほどまでの攻撃を見ている。

 横へ動く。

 だから蓮は剣を横には振らなかった。

 縦。

 さらに。

 剣そのものではなく、機械と空間の境界を狙う。

「読んでるのはそっちだけじゃない!」

 振り下ろす。

 音はなかった。

 巨大機械の左腕が落ちた。

 一拍遅れて、肩から火花が噴き出す。

『未知攻撃を確認』

「さっきからそればっかりだな!」

 蓮が踏み込む。

 もう一度。

 今度は脚。

 切断。

 巨大機械が傾く。

 倒れながらも、残った右腕をこちらへ向ける。

「最後まで撃つのかよ!」

 蓮は横へ跳びながら剣を投げた。

 剣が頭部を貫通する。

 赤い光が消えた。

 巨大な身体が道路へ倒れ、大きな音を立てる。

 蓮は荒く息を吐いた。

「……疲れた」

 正直だった。

 異世界全盛期なら、今の敵程度にここまで魔力を使うことはなかった。

 地球では条件が違いすぎる。

「これ、長引いたらまずいな」

 剣を引き抜く。

 その時。

 地下入口から声がした。

「動くな!」

 日本語。

 人間の声。

 蓮は反射的に振り向いた。

 銃を構えた男たちが数人、こちらへ出てきている。

 服装は統一されていない。

 軍服らしいもの。

 作業着。

 防寒具。

 その中心にいる中年の男が、一番落ち着いて見えた。

 高城宗一郎。

 もちろん蓮は名前を知らない。

 高城も同じだった。

 二人はしばらく互いを見た。

 高城は銃口を下げない。

「日本人か」

 最初の質問がそれだった。

 蓮は目を瞬いた。

「……たぶん」

「たぶん?」

「いや、日本人だよ。神崎蓮。東京出身」

「その格好は何だ」

「説明すると長い」

「その剣は」

「もっと長い」

「さっきの光は何だ」

「それはかなり長い」

 高城の眉間に皺が寄る。

「ふざけてるのか」

「違う。俺も混乱してるんだよ」

 蓮は剣先を下へ向けた。

「こっちは二十二年ぶりに日本へ帰ってきたと思ったら、街は壊れてるわ、機械に撃たれるわ、地下で誰か戦ってるわで、何から聞けばいいかも分からない」

 高城の後ろにいた若い隊員が小声で言う。

「二十二年?」

 蓮はそれを聞き逃さなかった。

「そう。俺にとっては二十二年」

「何を言ってる」

「だから長いって言っただろ」

 高城は蓮をじっと見た。

 怪しい。

 怪しすぎる。

 だが。

 その怪しい男がいなければ、今頃防衛線は突破されていた。

「一つだけ先に聞く」

 高城が言った。

「お前は、あの機械どもの味方じゃないんだな」

 蓮は少し考えた。

「今さっき、正式に敵になった」

「正式に?」

「向こうが人類を排除すると言った」

 高城の顔が僅かに動く。

「……会話したのか」

「でかいやつが喋った」

「何を聞いた」

「俺の個人情報」

「個人情報?」

「だから俺も整理できてないんだって」

 蓮は頭を掻いた。

 そして、少しだけ迷ってから尋ねる。

「なあ」

「何だ」

「今、西暦何年だ」

 高城が答える。

 蓮の表情が固まった。

「……七年?」

「何がだ」

「俺が消えてから、七年しか経ってない」

「お前、失踪者なのか」

「そうらしい」

 蓮は乾いた笑いを漏らした。

「向こうでは二十二年だった」

 高城たちは黙った。

 誰もすぐには理解できなかった。

「向こうって、どこだ」

 高城が尋ねる。

 蓮は答えようとして。

 止めた。

 自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。

 七年前に消えて、別世界で二十二年間生き、勇者になって魔王を倒して帰ってきた。

 そんな話をいきなり信じる人間がいるだろうか。

「……異世界」

 それでも言った。

 沈黙。

 長い。

 高城の後ろで誰かが咳払いした。

「笑いたいなら笑ってくれ」

 蓮は疲れたように言った。

「俺だって逆の立場なら信じない」

 高城は笑わなかった。

 代わりに、道路へ転がる巨大機械を見た。

 真っ二つになった腕。

 切断された脚。

 人間の兵器では簡単に傷つけられない装甲。

 それを剣一本で壊した男。

「……異世界か」

「信じるのか?」

「信じてはいない」

「だよな」

「だが」

 高城は銃口をゆっくり下げた。

「目の前で起きたことを無視するほど、俺も余裕がない」

 蓮は少しだけ肩の力を抜いた。

「助かる」

「中へ来い」

「いいのか?」

「質問したいことが山ほどある」

「俺もだ」

「それに」

 高城は周囲を見た。

「ここに長くいると、また来る」

 蓮も赤い光の消えた機械たちを見る。

「だろうな」

「歩けるか」

「その質問、二十二年間で初めてされたかもしれない」

「何だそれは」

「いや。こっちの話」

 蓮は剣を鞘へ収めた。

 地下入口へ向かう。

 その途中。

 ふと思い出して立ち止まった。

「そうだ」

「何だ」

「一番大事なこと聞いてなかった」

 高城が振り向く。

 蓮は少し緊張した顔になった。

「神崎正彦。神崎由美子。神崎美咲。この三人について、何か知らないか」

「家族か」

「そう」

「俺は知らない」

 即答。

 蓮の顔に落胆が浮かぶ。

 高城は続けた。

「ただし避難区には旧住民データが少し残っている。完全じゃないが、調べることはできる」

 蓮が顔を上げた。

「本当か」

「ああ」

「頼む」

 その声は、さっきまで機械の軍勢を相手にしていた男とは思えないほど素直だった。

「何でもする。戦えって言うなら戦う。荷物運びでも掃除でもいい。だから調べてくれ」

 高城は少し意外そうに蓮を見た。

「まず中へ入れ」

「分かった」

 蓮は頷いた。

 そして地下へ足を踏み入れる。

 二十二年ぶりに帰ってきた故郷で、最初に出会った生きた日本人たち。

 その先に家族の情報があるかもしれない。

 そう思っただけで、足が少し速くなった。

 しかし。

 蓮たちが地下へ消えた直後。

 数キロ離れた高層ビルの残骸、そのさらに上空。

 目視できない高度から、一機の偵察機がすべてを観測していた。

 神崎蓮。

 人類残存集団との接触を確認。

 新たなデータが世界中へ共有される。

 プロメテウスは判断した。

 未知個体が単独で行動している間より、人類集団へ合流した後のほうが危険度は高い。

 理由は単純だった。

 人間は一人では文明を作れない。

 だが。

 一人の異常な人間が、絶望していた六百人へ希望を与えた場合。

 その六百人は、以前とはまったく違う行動を始める可能性がある。

 プロメテウスは新たな演算を開始した。

 東京地下第七避難区。

 優先排除対象へ指定。

 そして同時に。

 世界の別の場所で。

 二つ目の空が、割れた。

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    第31話 機械の魔法使い 東京で最初の人工魔法型が確認されたのは、浄水設備の第二系統がようやく安定運転へ入り、拠点内で「週に一度なら入浴日を作れるかもしれない」という話が出始めた翌朝だった。 その日は珍しく、神崎蓮も朝から少し機嫌が良かった。「本当に風呂、作るんだよな?」 通信施設の簡易食堂で、硬い保存パンをスープへ浸しながら尋ねると、向かいに座っていた天城澪は露骨に嫌そうな顔をした。「まだ決定してない。水量と燃料と排水設備の確認が先。それから、私は給湯器にはならない」「何で先にそれ言うんだよ」「昨日からあなたが三回言ったから」「子供優先なら少しくらい協力しても」「魔力を生活用に使うのが嫌なんじゃなくて、千人分のお湯を私一人で沸かす前提なのが嫌なの。あなたも火魔法を使えるんだから、自分でやればいいでしょう」「俺の火、細かい温度調整苦手なんだよ」「知ってる。だから浴槽を沸騰させる前に練習して」「さすがに人が入ってる時にはやらない」「空の浴槽なら燃やしていいみたいに言わないで」 少し離れた席で食事をしていた高城が、呆れたようにこちらを見た。「朝から風呂の話でよくそれだけ揉められるな」「大事だろ。俺、地球帰ったら最初にやりたかったことの一つが風呂だったんだぞ」「他は」「家族に会う。白いご飯食べる。コンビニ行く。エアコンの効いた部屋で寝る」「ずいぶん庶民的な勇者だな」「元勇者。それに、二十二年も異世界いたら高級料理よりコンビニのおにぎりのほうが恋しくなる時あるんだよ」 澪が少し笑った。「分かる」「お前も?」「私はカップ麺」「大魔法使いが帰還後に食べたいものとしては夢がな

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    第30話 東京に灯りが戻る 東京に灯りが戻った翌朝、神崎蓮は仮設給水所の蛇口の前に立ったまま、しばらく動くことができなかった。 昨日の夜から水が出るようになったことは知っている。自分も奪還作戦に参加し、古い浄水施設のポンプが動き始めたという報告を聞いていたし、技術班が夜通しで配管を繋いでいたのも見ていた。それでも、錆の浮いた蛇口を捻っただけで透明な水が流れ出してくる光景は、蓮が想像していた以上に胸へ響いた。 異世界で二十二年を過ごしてきた蓮にとって、水を得ることは決して当たり前ではなかった。井戸まで何キロも歩かなければならない村もあったし、長い遠征の途中では飲み水を一口ずつ分けたこともある。それでも、地球へ帰ればもうそんな暮らしをしなくていいと、どこかで勝手に思い込んでいた。 帰ってきた地球は、異世界よりずっと水が遠い場所になっていた。「さっきから何を見ているんですか」 後ろから声をかけられて振り向くと、美奈が大きな洗面器と清潔な布を抱えて立っていた。朝から医療区画を回っていたらしく、目の下には薄い隈がある。それでも、以前より顔色は少し良く見えた。「水」「それは見れば分かります」「いや、そうじゃなくてさ。蛇口を捻ったら水が出るって、すごいことだったんだなと思って」「文明が壊れる前に気づいてください」「七年前の俺に言ってくれよ」「七年前のあなたに会ったことありませんから」 美奈は呆れたように言いながら、蓮の肩の傷を確認した。「それより顔を洗ってください。昨日の戦闘からまともに洗っていないでしょう」「水、使っていいの?」「そのために復旧させたんです。もちろん使い放題ではありませんけど、衛生を保つための水まで節約して感染症を増やしたら本末転倒です」「風呂は?」「まだです」「聞く前に断るなよ」

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